夏や。
ウィンブルドンに夢中になっている間に
35℃の真夏日になっていた。
このところ毎年汗疹に悩まされるのだけれど、
今年は汗疹の変わりに、「めばちこ(ものもらい)」
中である。抵抗力がガタ落ち...
でも食欲は衰えず。
先月からケーキを食べすぎている。
SNSのお誕生日のメッセージ、
送ってよいものか。一年に一度の
大切な日故、迷惑かも分らないの
でやめておこうと思う。
ウィンブルドンの決勝戦
フェデラーが負けた。
2011年の、ウィンブルドン女子の、
クルム伊達公子とヴィーナス・ウイリ
アムスの一戦、
浅田真央選手のソチオリンピックの
演技を思い出していた。
スポーツは勝ち負けだと
思う。強い人が一番美しい。
けれども、
伊達選手、浅田選手の試合を見て、
勝ち負けを超えたところで
心から感動して涙が出た。
こんな風に思うことは滅多にないことだ
けれど、メダルとか優勝とか
いいんじゃないか、と思えるほど
素晴らしい試合であり演技だった。
勝敗を超えて、
人に感動や希望や勇気を与える
ことができる選手がいる。
ウィンブルドン決勝戦で、
フェデラーが素晴らしいプレーをする度に
惜しみない拍手と賞賛をおくっていた、
ウィンブルドンの観客の姿が目に焼きついた。
勿論ウィンブルドン至上新たな歴史を刻む
瞬間に立ち会えるかもしれないという
空気は漂っていたけれど、勝ったとしても負けたとしても、
もう既にフェデラーはテニスファンにとって英雄なんだ...
それは単に成績や記録で得られる領域のものではない
次元のものであるように感じた。
百戦錬磨の戦いの中、33歳のフェデラーが、
全盛期と違わぬ身体をどれだけのトレーニング
を積んで作ってきたのか、そして、一番大切にしている
ウィンブルドンの大会で、どのようなモチベーションで
決勝まで勝ち上がってきたのか。
優勝するチャンスはもうこれが最後かもしれない
一戦をどんな気持ちで戦っているのか。
ジョコビッチが優勝を決めた瞬間の、
フェデラーの、悲しみとも痛みともつかない
深く複雑な表情がそれを物語っていたように思う。
スコア的には第3セット、第4セットは、
実質世界ナンバーワンのジョコビッチが
力でねじ伏せた試合だったと思う。
私は近年のパワーテニスがあまり
好きではない。正直なところ、
パワーテニスをする選手の試合を見て
感動したことがないように思う。
勿論選手に何の非もない。
フェデラーの第2セットのプレーは
感動して心が震えた。
ウィンブルドンの観客もうねるような
歓声をあげていた。
私は、去年の決勝の時も、今年の決勝でも、
フェデラーに、ウィンブルドン史上最多の
通算8度目の優勝をして、新たな歴史を刻んで
欲しいと願っていた。
けれど、来年はそう思わないだろうと思った。
それは、記録以上のものをフェデラーは
得たのかもしれないと思ったからだ。
だからこれからはもう記録に縛られることなく、
本当の意味でテニスを楽しんでいけるような気がした。
勿論それは遊びということではなくて。
彼は今現在、世界ランキング2位のトップ選手である
ことに違いはない。これからも勝利を刻んでいくと思う。
でももう、タイトルや記録に苦しまずに戦えるような
気がした。
テニスの才能が素晴らしいのはいうまでもないけれど、
彼が一番素晴らしいのは人格だと思う。
私はスポーツ選手の中でフェデラーが
一番好きだ。これからもずっと応援しようと思う。