空気人形
ヒューマン・ラブ・ファンタジー。業田良家の短編コミックを基に、ひょんなことから心を持ってしまった“空気人形”が様々な出会いを通して味わう感情の移ろいと、対照的に浮き彫りとなる現代人の孤独と空虚感を、漂うエロティシズムを織り交ぜつつ、切なくも繊細に描き出してゆく(net)。
監督・脚本: 是枝裕和 原作: 業田良家 撮影監督: リー・ピンビンキャスト:ペ・ドゥナ、ARATA、板尾創路、高橋昌也、余貴美子、岩松了、寺島進、オダギリジョー

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで
虻(あぶ)の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
私も あるとき
誰かのための虻(あぶ)だったろう
あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない
<吉野弘>
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「空気人形」
とても好きな作品です。"業田良家"の漫画が原作になっています。是枝監督は、空気で膨らませたビニールの人形に生命が宿って、その女性がビデオ屋で働いている途中、釘に身体をひっかけて腕に穴が空いてしまう。女性が密かに恋心を抱く男性店員が、空気の人形であったことに驚きながらも「大変だ!」と空気を吹き込んでいく。そのシーンがものすごくエロティックでこれは面白い作品がつくれるんじゃないかと思ったそう。初めて真正面からラブストーリーを描いてみました、という是枝監督、漫画の原作を下敷きに着想を広げ、心を持った空気人形と、都会の片隅で心に孤独をかかえ生きている人々との触れ合いを深いところで織り交ぜた素晴らしい物語になっています。
心が宿った女の子は実はラブドールで、男性の性の目的のためにこの世に生み出された。そして中年男性が彼女を所有しそばに置いていた。彼は人形に服を着せ、お風呂に入れ髪を洗髪し、語りかけ、まるで人間の彼女のように接するのだった。ところがある日空気人形は心を宿してしまう。生まれたての子供のように外の世界に飛び出した空気人形は、行き着いたビデオ店で、働く男性に一目惚れをする。一緒に暮らしていた男性は大事にしてくれるのだけれど、自分は何のために彼としるのかということが、彼女の心を曇らせる。男性のために存在している自分の姿があった。彼女は生まれて初めて恋をする。先に是枝監督が言っていた。レンタルビデオ店で彼女がARATAに空気を吹き込まれるシーン、とても印象的なシーンです。私はこの映画はどちらかとえいえば、切ない恋の物語として解釈をしたのだけれど、確かに官能的と言われてみたらそうかもしれない。空気人形にとって、空気がなくなることは人形としての死に等しい。壊れゆく身体の刹那と、好きな人の空気で身体が満たされていく悦び。ARATA演じるビデオ店員は大切な人を何らかの形で失ったのかもしれない。謎が残る。生身の人間は死を迎えれば蘇ることはない。でも今この瞬間、目の前の彼女に空気を吹き込み再生している。この行為は男女が愛し合う行為にもとれるし、死と再生という意味にも捉えることが出来ると思う。只、厭らしい印象は全くなかったです。自分から空気が抜けて萎んでいく哀れさ。好きな人にそんな姿を見られたくない。思わず「見ないで」と叫ぶ彼女。戸惑いながらも命の息を吹き込む彼......
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空気人形が初恋の彼に空気を吹き込まれるシーン。私には、官能的というよりむしろ、初恋や相手を想う切なさ、またそれらが一瞬結びついて触れ合うような純粋な感情の表れのシーンに映りました。エロティックというより清さを感じるとても美しいシーンだと思いました。
人間は存在自体「他者の総和」で成り立っているのだ、というメッセージが伝わってくる。公演で知り合った、かつで代用教員であったという老人は、自身の心の中が空っぽであることを彼女に告白し、彼女の初恋の相手は、彼女が心が空っぽだというと僕も同じようなものだよ、という。彼女と暮らしていた、中年の独身男性、老いを恐れている若くないOL、妄想癖のある初老の女性、ビデオ店に通ってくるオタク青年、過食症の若い女......皆、心に欠如を抱きながら都会の片隅で孤独を抱えて生きているのだった。心が空っぽのはずの空気人形が一番、誰よりも温かみを持ち、純粋で、他者と融和していたのではないだろうか。
彼女の汚れなき純粋無垢さは、その純粋さゆえある種残酷なのイノセントを帯びながら、ある方向へと向かっていく......
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「心を持つことはせつないことでした」
空気人形というだけで、ともすると猥雑なイメージを抱かれがちかもしれないけれど、私には切ない恋心と「生」と「死」、「死」と「再生」、深々と美しい物語でしたღ ラストのたんぽぽに息を吹きかけるシーンで思わず泣いてしまいました。
街中を歩くと、無数の人とすれ違う。その人にはその人の幸せや悩みがあって・・・と考えていたら途方もないことかもしれないけれど、一人で生まれてきて一人で死んでいくという意味でも孤独な一人ひとりが実は誰かと深くつながっていて、そのつながりで自分の命が生かされているという実感ができたら、なんて幸せなことだろう。
主演の"ペ・ドゥナ"をこの作品で初めて知りました。監督が以前からファンだったということでこの役を是非彼女に演じて欲しいと手紙を書いて送ったそうですが、監督が女優として惚れ込んだのも無理はないと思いました。本当に素晴らしい演技でした。私は全く韓流ブームには乗れないでいるのですが、ペ・ドゥナの役者としての素晴らしさにはとても感銘を受けました。彼女の作品をいくつか観ましたが、「役を演じるときはプライベートな自分を持ち込むことは一切しない」という彼女。どれも質の高い演技をしています。「空気人形は」カンヌ映画祭のある視点の部門で上映され、国際的にも高い評価をうけました。ぺ・ドゥナの演技も高く評価され、その後「クラウドアトラス」など海外の作品にも出演し国際的に活動しています。ARATA演じるビデオ店員は、過去や心の闇など謎の部分があるのだけれど、それを敢えて明確に明かさないのも良いと思いました。優しくて柔和な眼差し、遠くを見つめる物憂げな様......台詞ではなく行間で訴える演技がとても良かったと思います。素敵な映画でした。
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